歴史マップの答え合わせ
第1問 2(水が足りなくなったときに使うため)
第2問 3(みなまきラボの机・椅子)
第3問 3(川)
第1問
こども自然公園
昔「本宿の大池」と言われ、徳川時代中期(1700年代)にかんがい用の池として作られたものです。
※かんがい…田畑に水を引いてそそぎ、土地をうるおすこと。(広辞苑より)
ちなみに…大池にはこんな昔話があります。
池には昔大きな蛇が住んでいて、人々を困らせていました。そこで、村の人たちは蛇を退治しましたが、蛇のたたりによって村人たちも病気にかかってしまったため、池の中央に弁天様を祀り、大蛇の供養をしました。それからは病人も出なくなり、村には明るさが戻りました。
参考:万騎が原小学校創立20周年誌
写真:横浜市ホームページ
第2問
南万騎が原駅 みなまき みんなのひろば
開発前の南万騎が原駅前は多くの緑がありました。
開発のため、木々を選別し、伐採したときに、伐採した木の量もかなり多く、せっかくなら、何かに使えないかということになりました。
その後、みんなが集まれる場所が欲しい、街路樹を何らかの形で残したいという思いから、テーブルやキーホルダー、カッティングボード、積み木、市民の森の樹名板製作へとつながり、机やいすはみなまきラボで今も使用されています。
他にも、この広場では様々な活動が行われています。
この広場には、みなまきのなかで子供たちの好きな場所、これまで知らなかった場所についてのプレートが埋め込まれています。
みなまきの好きな場所、知らなかった場所を見つけるために、昔からみなまきに住んでいる方々が、街を紹介、案内しました。
その時のまちあるきルートは人気で、今ではマップにもなっています。
写真
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株式会社 スタジオ ゲンクマガイ ホームページ
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株式会社 相鉄アーバンクリエイツ ホームページより
第3問
二俣川駅
二俣川駅の吹き抜け空間の下には実は川が流れています。
かつて、この川によって駅の南側と北側は分断され、行き来がしにくい状態でした。再開発に当たり、いかに南北をつなぎ、行き来をしやすくするか、が一つのポイントとしてありました。
二俣川駅では、建物を工夫することによってアクセス性を高めるだけでなく、加えてイベントなどの活動を行うことにより、人々の交流を生み、つながりを広げていく、ソフト面での工夫もなされています。
今では、行き来がしやすく、便利になったと地域の方々の喜びの声もあるそうです。
他にも、この吹き抜け空間をはじめ、二俣川駅にはいろいろな思い、工夫が込められています。
昔の二俣川駅の入り口は商業施設グリーングリーンの中にあり、慣れていない人にとってはとても分かりにくかったそうです。今はこの吹き抜け空間があることで見通しが良くなったほか、駅に来た人もどこが入り口なのかが分かりやすくなっています。
ちなみに、バスロータリーになぜ竹が植えられているかご存知ですか?実は以前は駅前のお家に竹がたくさん生えていて、駅から出たときにそれが良く見えたそうです。竹を見ると地域の方々は「二俣川に帰ってきた」といった安心感があったため、竹を残したいといった声が寄せられ、バスロータリーに残されることになりました。
再開発の時に、地域の方々の様々な意見が活かされているのですね。
他にも、万騎が原のまちにはたくさんの歴史、魅力が詰まっています!
詳しくはHomeから探してみてください!